先日Youtubeの落合陽一さんの番組で、アフターコロナでは世界のパラダイムが変わるのかということを様々な専門家を交えて議論していました。歴史学者が過去のパンデミック(ペストやスペイン風)と比較しつつ、今回のコロナ禍を分析していました。
死者数などの比較データから判断すると、今回は大きなパラダイム・シフトは起きないという意見で一致していました。ただし、生活のあらゆるところで変化が起こるということも指摘していました。
ある学者は、おおよその人間は痛みを伴わないと変わらないと述べていました。それには主観的な痛みと客観的な痛みが必要で、前者には知人や家族などに感染者が出る痛み、後者は感染者数や死者数などのデータとしての痛みがあるようです。
例えば、戦後、日本人は大きな傷みを伴ったので大きな変化を遂げることができました。また、不摂生をしていて、生活習慣を変えるつもりがなくても、医者からこのままの生活を続ければ命の危険にさらされると宣告されたら、すぐにでも生活習慣を改めるスイッチが入ると思います。
賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶとありますが、賢い人は先人の知恵によって失敗をたどることなく、上から上へと成長していくものかもしれません。しかし、僕も含めて多くの人はやってみて、痛みを伴う失敗をしないと、なかなか、スイッチが入らないもののようです。
しかし、経験から学ぶことしかしていないと、常に後手に回る生き方になってしまいます。
クリスチャンが生きるために与えられている聖書には純粋な神の言葉だけでなく、先人の信仰者たちの歴史も詰まっています。すべての信仰者が立派な行いをしたわけではなく、失敗も成功もありのままに記載されています。
今は、コロナ禍で経済が停滞傾向にあり、先行き不透明な世界になっていますが、今だからこそ、先人の信仰者の歴史がつまった旧約聖書と新しい契約のもので生きられる恵みがつまった新約聖書を手に取り、痛みと伴う前に乗り越えたいと思います。
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
テモテⅡ3:16-17(口語訳)