0047_多様性の時代を生きて、無駄な時間を恐れない

近年は多様性がキーワードになってきています。公共の場所においては、駅や飲食店に関わらず、多言語での表記が当たり前になっていますし、ビーガン向けのメニューやイスラム教徒向けのハラール対応の食品などもあります。人種、宗教、性、価値観など、社会における多様性は年々高まって来ているように思います。

仕事においても、国か企業か個人かの三択ではなくて、企業に属しつつUberEatsのデリバリーをするようにギグワーカーやフリーランス、または、在宅ワーカーなどの選択肢があります。

一方で、学び方においては、従来の伝統的なエリート校への進学を目指すだけではなく、KADOKAWAが運営してるN高やホリエモンが運営する実学を重視する校舎のないゼロ高など通信高校もあります。身近にも、有名進学校卒業後、エスカレーター式の高校に進学せずに、あえて、Youtuberをしながら、N高に入学するという人もいます。

従来の「俺が若い頃はな〜」と自叙的アドバイスなどは不要になるかと思われるほど、価値観の変化が早いです。「とりあえず、ちゃんと高校は出ておけ」というアドバイスも、ニュータイプの若い人には全く響きません。彼ら彼女らにとっては、3年間は無駄でしかないようです。明確な目標がある人にとって、3年間は非常に長く、自分がしたいことに使いたいそうです。

とは言いつつも、僕はおっさんなので、人生には必ず「無駄な時間」が必要だと思っています。そういった時間が、スルメを噛むほど旨味が出てくる、味のある人間にならしめると思います。違和感や苦悶や苦痛などを感じる時は、あとからロケットを打ち上げるごとくのエネルギーを蓄えてくれる期間にもなります。

「桃栗三年柿八年」のとおり、これが自然の速度です。人間も神様の創造された被造物である以上、自然の法則に従って、中長期的視点で物事を考えるべきかな、とも思います。

パウロはキリストに救われるまでの間、律法からくる罪の自覚に苦しんでいた苦悶の期間がありましたし、モーセもエジプトの英才教育を施されたにも関わらず、まさかの荒野で羊の世話をし続ける40年間を過ごしました。その後、彼らはロケットのブースターの如く、凄まじい勢いで神様の働きを始めました。

多様性が尊重される時代になったということは、それだけ選択肢が増えたということです。戦略で相手を混乱させる有効な方法は「情報と選択肢を多く与えること」と聞いたことがありますが、選択肢が多いということは、意思決定に不安を覚える人も増えると思います。

ですので、道を示してくださる。また、ビジョンを与えてくださる。被造物のわたしたちを一番熟知されているお方に頼りつつ生きていくことが多様性の時代の鍵になるのではないかと勝手に思っています。

あなたのみ言葉はわが足のともしび、
わが道の光です。
詩篇119:105(口語訳)