退勤後
これまで僕は退勤後に駅まで歩きながら祈ることを習慣にしていました。「今日もあなたが共にいてくださったことに感謝します。」というように心を込めて主に思いをはせます。しかし、ここ一か月ほどAir Podsのパチモンを手に入れてから、イヤホンをつけて歩くようになっていました。
イヤホンで賛美を聞いたりすることもありますが、英語のリスニングの訓練をすることもあります。そんな中で、退勤後の感謝の時間がなくなっていることに気づいたのです。
アブラハムはどうしていたのだろう?
そのため、昨日はイヤホンをつけないで主に思いを向けました。魂が救われていること、そして救われているからこそあった今日一日、主に感謝を捧げました。その時に僕は突然アブラハムはどうしていたのだろう?と思うようになりました。
今から数千年も前の時代、もちろん、イヤホンはありません。いつでも賛美を聞ける状態でもありません。その時に、きっとアブラハムは主に祈り礼拝を捧げることを一日の終わりにしていたのだろうと思いました。
結果が大きく変わる
そして、僕は受身と能動では結果が大きく変わるということを思いました。今は基本的に受身の時代です。スマホが勝手に暇をつぶしてくれます。認知を奪ってくれます。夢中にしてくれます。イヤホンで聞く賛美すら、相対的に言えば受身です。
自分で口を開いて賛美するのと賛美を聴きながら思いを主にはせるのとでは体験としては全く別物です。僕は過去の信仰者たちが能動的な信仰をもっていたのなら、僕もそうするべきだと思うようになったのです。
エネルギーが要る
久しぶりに英語を本気で勉強するようになって痛感したことがあります。それは、スピーキングにはエネルギーが要るということです。例えば、シャドーイングをするにしても、僕には20分が限界です。すぐに疲れてしまうのです。そもそも、シャドーイングをしようと思うことすら億劫に思うことがあります。
しかし、リーディングやヒアリングは楽です。基本的に目と耳から入ってくる外国語を頭の中で処理するだけです。だから相対的にヒアリングとリーディングは受身です。一方、スピーキングとライティングは能動です。
信仰生活の秘訣
何が言いたいかというと能動的に主に向くにはエネルギーが必要だということです。聖書を読むにしても黙読と音読とでは後者のほうがエネルギーが要ります。能動の力は意志の力ともいえるかもしれません。
もし、過去の聖書人物が能動の人たちだったのなら、それにならうことが信仰生活の秘訣なのではないかと思いました。













