日本語教師になって、もうすぐ2年になります。一応、退職後、半年間独学で勉強し、さらに、6ヶ月間日本語教師養成学校に通いましたが、大学等で専門的に勉強した人には遥かに及ばないです。
ただ、日本人で、日本語が話せて、日本語が教授できるというだけで、「先生」と呼ばれるようになりました。といっても、何の価値もない先生です。
先生の仕事はアルバイトと同じですね。
先生、これは時間の無駄です。
先生の字は虫みたいですね。
腹の中ではムカムカー、ムカムカーとしますが、顔ではニーコニーコ、ニーコニーコしています。それでも、学生は一応、「先生」と呼びます。これは、今でも慣れません。
ある人は、先生という語について以下のような解説をしていました。
先生とは、「先に生まれた人」で、人生、ある分野についての先達者である。
もしくは、
先生とは、「先ず、生きている人」で、ただただ、生きているだけの人のことである。
私は間違いなく後者です。
先日、ある学生から、お誘いがありました。
しばらくしてから、また同じ人から、
また、しばらくしてから、
正直、土曜日の朝はゆっくりしたかったのですが、断ることによって、今後、学生との間に変なわだかまりができてしまったり、つまらない先生だと思われるのが嫌だったので、仕方なく行くと返答しました。仕方なく行くといっている時点で最低な先生です。
時間を確認すると、6時40分に現地集合。
すぐ後悔しました。ただ、他の学生からも反対意見があったようで、集合時間は7時30分に変更になりました。
時間設定が早い理由は、早ければ早いほど、空気がいいからとのこと。
前日は、0時過ぎに就寝。
翌朝は、6時30分に起床。
当日は学生が車で迎えに来てくれることになっていました。
ベッドの上で、学生からの連絡を待ちます。
外はまだ暗いですが、雨は降っておらず、寒くもなく、暑くもなく、山登りには最適な一日と思われました。
7時過ぎに携帯が鳴りました。携帯のメールボックスを開けると、
このようなことは、今まで幾度となく経験してきたから、なんとも思いませんでした。私自身、内心ほっとしました。これで、朝ゆっくりすることができます。
窓の外に目をやると、朝日が花婿がその祝いの部屋から出てくるように、空高く上ろうとしていました。
「先ず、生きている人」ではなく、「先ず、生かされている人」だなと思わされ、再び布団にもぐりこみ、眠りについた。
あなたたちは師と呼ばれてはならない、なぜなら、あなたたちの師は一人であり、キリストだからである。
カナンの地は今日も輝いています。