常習的な反復性のある失敗

先月から初級クラスを担当しています。初級では4ヶ月かけて五十音から日本語の敬語までを勉強します。当校の1クラスの規模は10人程度で、今のクラスも開講当時は8人いましたが、五十音でつまずく学生が続出し、次第に淘汰されていき、今では5人ほどしかいなくなりました。

原因は私の力量不足もありますし、もちろん学生側の忍耐力、学習意欲の欠如にもあると思います。今のクラスの特徴は、学生間の横の関係がいまいち構築されていないようで、クラス活動がさほど盛り上がりません。授業へは遅刻せずに来て、授業中も眠らず、携帯をいじることもなく、宿題もきちんとし、真面目は真面目ですが、どこか物足りなさを感じてしまっています。それに加えて、無気力感、無感動、無反応といった空気が、教室中に充満しきっています。

願望表現を学習した際、「今、何がいちばんほしいですか」と聞いても、みんな、

学生たち
何もほしくないです。
とだけ言います。

「今、何がいちばんしたいですか」と聞いても、

学生たち
何もしたくないです。
学生たち
帰りたいです。
学生たち
寝たいです。
とか、こんな反応しか返ってこないので、教室活動も全然、盛り上がりません。無気力感の満たしが半端じゃありません。

「昼、何を食べましたか」の質問に対しては、以前教えたことのある表現を使い回して、ある学生は「特に印象に残っていません」とだけ言います。昼、食べた物くらい覚えとけよ、と思いますが、彼にはどうしても思い出せないそうです。

もちろん、彼ら彼女の気持ちも分からないでもありません。人が何を食べようが、ほしがろうが、それはその人の勝手であって、もしかすると当人にとっては、プライバシーに触れる重要な秘密事項なのかもしれません。

どうして、お前なんかに昼食った物を言わなければならないんだ、という気持ちも分かります。しかし、それでも、こちらも聞きたくて聞いているわけじゃないですし、職業上、学習項目の習得状況を確認するために、または、彼ら彼女らの日本語の能力向上のため、発話を促させるために聞いているのであるから、そこは双方が理解しあって、受け答えや応答はきちんとしてほしいと思います。

当校は、小規模の語学学校なので、大学のように授業に出席して、単位がもらえて、学位がもらえるわけでもありませんから、決して安くはない学費を払って勉強している以上、最大限に日本人を利用しまくって、こいつの養分全部吸い取ってやろうくらいの気概で勉強してくれたほうが助かります。

それでも、かれらのスタイルがあるので、それは尊重しなければなりません。授業をしていて、いちばん困るのが、一通り文法説明を終えた後に、何も聞いていかなったかのように、もう一度説明を要求してくる学生です。

再度、説明することは、時間の浪費であり、理解している他の学生にも迷惑になるため、本当に、困惑してしまします。そして、それよりももっと困るのが、以前、何度も説明したことのある項目を、すぐに忘れて、何度も説明を要求してくる学生です。

当初、このような学生を前にした時、彼らの対応を寛容な心で受け入れることが出来ず、「何回言ったら、わかるねん!!」という態度で、自然とため息をついてしまい、さらに面倒臭そうに説明してしまった経験があります。

しかし、ある日、そのことに思いをめぐらしていた時に、キリスト者として生きるようになってから、聖書を読む中で、祈りの中で、また黙想する中で、イェス・キリストは一度も、「あなたは、何回言ったら、わかるのですか。あなたは、クリスチャンとして失格です。」という態度で、私を迎え入れたことはなかったことに気づきました。

もちろん、私がただ単に霊的に鈍感なだけで、イェス様は、上記お言葉を私に言っていたのかもしれませんが、少なくとも、私はそういうお言葉を頂いたことはないと思っています。

私が同じ失敗を何度もしているにもかかわらず、キリスト者になってから、もう数十年経ち、全然、成長していないのにもかかわらず、寛容な優しい心で、いつも迎え入れてくださっていたことに気づきました。もし、これまでの私の失敗を数え挙げれれば、数百、数千、もしかしたら数万回もくだらないかもしれません。それに比べれば、既教授項目に対する学生の常習的な反復性のある質問なんて、なんでもないと思うようになりました。

キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れ合いなさい。

カナンの地は今日も輝いています。

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