1776_自分の中にある不純物を一つひとつ取り除いていく作業

初めの愛から離れてしまった

今年に入ってから主との関係が急速に回復してきているように思います。これまでもずっと回復を目指して歩んできましたが、数年単位で時間がかかっていました。僕が回復されなければいけないと思っている理由の一つは、僕が救われた当時の初めの愛から離れてしまっていると感じているからです。

救われた当時は一人部屋にこもって数時間祈ったり、山へ祈りに行ったり、どこに行くにも主が共にいてくださる溢れる喜びが心の中にあったのです。そして、強いられてではなくて、本当のこの喜びを伝えたいという内発的動機から福音を伝えたいと思っていたのです。

イエス様との個人的な関係を喪失

しかし、僕ははじめの愛から離れてしまっていました。確かに教会生活は送っているように見えるかもしれません。奉仕などもできているように見えるかもしれません。しかし、それらは主の恵みと憐れみによってかろうじてできているだけであって、聖霊の満たしによって溢れるばかりにできているものではないと思っていたのです。

そう感じるのは、イエス様との個人的な関係を喪失してしまったからです。従順、仕えること、行うことばかりを優先してしまい、愛を動機とした生き方ができなくなってしまっていたのです。そのことに気づいたのは5年前くらいだと思います。

自分をめいっぱい愛していた

そこから何とかしてはじめの愛に帰りたいと願って生きてきました。生活習慣や一種の犠牲によって自分を変えようとしてきたことはこのブログでずっと書いてきたことです。しかし、その過程で気づかされたことがありました。それは、実は「はじめの愛に帰りたいと思っている」と思っているだけで、実際はそんなことは思っていないという事実です。

僕はひたすらに主を求めていると思っていました。自分が1日の間に考えていることややっていることを棚卸したら、それと全く反対のことをしていると気づかされたのです。これは僕にとって非常にショックな出来事でした。主を愛したいと言いながら、実は自分をめいっぱい愛していたのです。

不純物を一つひとつ取り除いていく作業

それから様々なところを通らされる中で、自分の中にある不純物を一つひとつ取り除いていく作業が始まりました。それは文字通り、一つ一つです。とても時間がかかりました。一つ取ったら、また次、本当にモグラたたきのように気づかされることばかりでした。

しかし、それでも「人間は結局こうだから」とあきらめませんでした。自分には失望しましたが、イエス様に対しては失望したことはなかったと思います。主との深い愛の関係の中で信仰生活が送れるように今も取り扱いを受け続けています。

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