1045_僕が若かった頃は「主よ~!」と大声でシャウトしていた
過去の祈りのスタイル 僕が若かった頃は祈りといえば「主よ~!」と大きな声で祈り求めるスタイルが当たり前でした。それは僕がペンテコステ派のバックグラウンドをもっており、そのような環境にいたのでそれが当たり前だと思っていたか…
過去の祈りのスタイル 僕が若かった頃は祈りといえば「主よ~!」と大きな声で祈り求めるスタイルが当たり前でした。それは僕がペンテコステ派のバックグラウンドをもっており、そのような環境にいたのでそれが当たり前だと思っていたか…
祈りの時間はタブー? 昨日は1日に1時間祈ることを習慣にするということを書きました。こういうことを書くと、もしかしたらある人は、こう言うかもしれません。「主との交わりはそもそも自発的にするものなので1時間とか強制的にやろ…
祈りの習慣 今年の自分が身に着けたい習慣に新しいものを追加しました。それは「少なくても1日に1時間祈る」というものです。教会などでは祈ることの大切さは語られますが、じゃあ実際に何分祈るのか?どのように祈るのか?といった具…
人は自分の罪を低く見積もる これはあくまでも僕の仮説ですが、「人は自分には罪がないと思う。もしくは悔い改めるほどの罪はもっていない」と思う傾向が著しく強いのではないかと思っています。これはあくまでも自分を見て思った傾向で…
子供と過ごす時間 先日、こどもと二人っきりで過ごす時間がありました。大人だと決して思いつかいないような意外な発想でなんでもやってみようとする姿勢は見ていてとても面白いです。ただその一方で「お願いだからもうやめてくれ」と思…
この街で 先日出勤途中オフィス街を歩いている時にこんなことを思いました。高層ビルや近代的な建物が立ち並び、多くの人はわれ先と無言で急ぎ足で歩いています。この街を見る限り神様が存在していることなどに思いを馳せるのは難しいと…
イエス・キリストを知っている イエス・キリストについて知っていることとイエス・キリストを知っているのとでは全く違います。たとえ信仰がなくてもイエス・キリストについて知っている人は多くいると思います。しかし、信仰は人から聞…
オンライン交流会 先日、中国関連のクリスチャンの交流会にオンラインで参加しました。今年はもう一度中国語に力を入れようと思っていた矢先、以前中国でお世話になった宣教師の先生から交流会の連絡があり、これは神様の導きだと信じて…
王なる主 今日礼拝で賛美していた歌詞に「王なる主」という言葉が非常に印象に残りました。それは王なるお方の前に立てる人はどういった人だろうか?と考えたからです。普通に考えたら、特別な人や地位の高い人だけが王様の前に立つこと…
少ししか祈らなければ少ししか力がない 今年は日常生活の中でふとした時に祈ることを実践しています。仕事でひと段落した時に目をつぶって祈りを捧げたり、家で子供と一緒にいる時に心の中で祈ったりしています。しかし、それで十分かと…
結婚前 僕は結婚する前は「自分一人の時間がなくなると息が詰まるのではないか?」とか「果たして血のつながっていない人との共同生活はうまくいくのか?」とか不安が多かったように思います。今でも嫁さんが言うのは、結婚前にマリッジ…
人格や資質 クリスチャンとして生きていると、クリスチャンではないけれど素晴らしい人格や資質をもった人が大勢いるのを見て恥ずかしくなることがあります。特に僕自身は人格的にも資質的にも最底辺にいるので、クリスチャンとして生き…
快楽と苦痛 1年くらい前に「ドーパミン中毒」という本を読んでからずっと冷水シャワーを浴びることを習慣にしてきました。この本によると快楽と苦痛はシーソーの関係にあると説明されています。シーソーは平衡を保とうとするため、シー…
クリエイティブの生みの苦しみ 今日は仕事でお客さんの新規サービスのロゴを作成してくれと依頼がありました。クリエイティブな仕事はとても楽しいです。しかし、その一方で生みの苦しみを通る時もあります。どうにもこうにも全くアイデ…
賛美の違い ペンテコステ派の教会から福音派の教会に来るようになってから、教会といっても色々と違うところがあるな~と思わされることがありました。先に書いておきますと、前提としてペンテコステ派と福音派をきっぱり二つに分けるこ…
それぞれの立場 人は誰でも様々な立場を持って生きています。例えば、会社では社会人として部長という立場、家に変えると父としての立場、実家に帰ると息子としての立場、教会では信徒としての立場、保育園では保護者としての立場、地域…
自重トレーニング 先日最近筋トレはお風呂でしていると書きました。ただお風呂での筋トレは自重メインであり高負荷がかけられないため満足感にかけることがわかってきました。それでなんとかお風呂場で高負荷自重トレーニングができない…
仕事だと許しが与えられてしまう 最近気をつけないといけないと思うことがありました。それは「仕事だからというので夢中になってはいけない。」ということです。どういうことかというと、仕事というものは割りとなんでも許しが与えられ…
通読の申命記 最近、在宅時の通読は申命記まできて本日終了しました。明日からはいよいよヨシュア記にはいります。申命記はレビ記と民数記と重複するところがかなりあるのですが、出エジプトしてからの総まとめとして思い出しながら読む…
新たな開発会社 年始早々少し不安になることがありました。それは僕が受け持っているお客さんの中で比較的売上規模が多いところに対して別の開発会社が関与してくるとの情報が入ったためです。これまでこのお客さんは本当に多くの開発会…