どう思われるか?
先日、CSのイベントでメッセージをしました。自分の中では祈って準備して臨めたと思っていたのですが、今回は祈り抜ぬけていないということを教えられました。いつもならだいたい見慣れた子どもと保護者が来てくれます。僕にとっては自分の安全地帯、いわばホームでのメッセージだったのです。しかし、今回は幼稚園で知り合った保護者、また初めて見る親子が多く来ていました。
その中で僕は幼稚園で知り合った保護者にどう思われるか?ということを気にしてしまったのです。もちろん、僕がクリスチャンであることは知っておられますが、僕が賛美を導いたり、お祈りをしたりするのは見たことがありません。僕はそういった行為がどのように映るのか気にしてしまったのです。
聖霊の導きや流れ
そして、聖霊がどのように導いておられるのか?というところを見失ってしまいました。これは致命的です。なぜなら、聖霊の導きや流れがあれば攻めることができます。つまり、積極的に御言を語ったり賛美によっ、深みに入っていくことができます。
しかし、もし聖霊の導きや流れがないのに無理して多く語ったり、多く賛美をしたりしても、相手の心には入っていきません。なぜなら、人の心を開くのは聖霊の働きだからです。もし、そこに聖霊が働かれていないならば、何を語っても何を賛美しても入っていかないでしょう。僕はそう考えています。言い方は悪いですが、立て板に水のようなものです。
態度や姿勢
メッセージのあとの賛美を何回か繰り返す予定だったのですが、僕はイモってしまって一回繰り返しただけで終わってしまったのです。僕は悔い改めさせられました。なぜなら、僕は神様に対して不遜な態度で準備してしまったからです。僕は愚かにもこのように思ってしまっていたからです。それは「前回このくらい祈って準備して備えたら、神様はこのくらい働いてくださった。だから今回もそれくらいか、もしくはそれより少し多めに祈ればいいだろう。」と思っていたのです。
問題は祈る時間ではありません。僕の態度や姿勢です。僕は神様に仕えるにあたって、いわばトレードのようなことをしていたのです。
神様と僕の関係
もちろん、祈る時間も大切です。しかし、一番大切なのは神様と僕の関係です。そして、福音宣教、メッセージを語ることは霊的な戦いであるという意識や覚悟が欠如していたのだと思います。
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