意識が高い系の人たちと仕事
今仕事で月に数回ベンチャー企業に行って内部の会議に参加したり、開発のお手伝いをしているのですが、そこの会社のメンバーが揃いも揃って優秀で、人としてもできていて、さらに意識もいくぶん高いので、そこに自分がいることが恥ずかしくなります。会議での報告の時も、みなさん、言葉選びも秀逸で、話も理路整然で声も大きく、落ち着いており、思考が明瞭であることが一瞬でわかります。何か質問がある時も、実に的を得ており、ロジックもしっかりしており、唸らされてばかりいます。
一方、僕は緊張で上がってしまいますし、何かに追われるように焦って喋ってしまうので、早口になりますし、日本人なのに日本語の文法ミスがあり、用語のチョイスもおかしく、完全に頭が悪い人の話し方になっています。毎回思うのですが、「やればできる」っていうのは違うと思っており、努力をしても、この地頭も悪さはなんとかできるものではないと思っています。
自分の弱さ
話すのが得意な人もいれば、数字に強い人もいれば、様々です。もちろん、話すのが苦手な人もいれば、数字が苦手な人もいます。ビジネスにおいては、話すことと数字に強いということはほぼ必須の能力とされており、その分野を他で補うというのがなかなか難しく苦労しています。
僕の場合は、言葉を聞いてもすぐに理解できないことが多いです。耳から聞いた音声から意味としての塊を頭の中でうまく作れないのだと思います。小さい頃から、誰に電話をかけるにしても、先に何を話すかを考えて、それを覚えておかないと電話で人と話ができなかったです。
頭の中で論理的に考えたり、文章を作ることが苦手なので、暗算など夢のまた夢です。ですので、できるのであれば、まず文字に起こしたり、全体を俯瞰できるように構成を考えたり視覚化しないと、なかなか理解できません。ビジネスでは瞬発的な口頭でのやりとりが通常なので、
弱くても生きていける秘訣
いろいろな自分の弱さを覚えて生きているのですが、どれだけ失敗しても、恥ずかしい思いをしても、イエス様が僕を受けれてくださっているから、なんとか今日を得ています。また、僕の弱いところに神様が働かれて、栄光を現してくださるということが唯一の希望でもあります。だから、こんな僕でも「あー自分なんてだめだ」と諦めることなく、割とのほほんと行きてこれているのだと思います。
以下は何度でも声に出して読みたい、聖書の御言。
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
コリントⅡ12:7:9