0177_弱々しいクリスチャンから抜け出したい

安定したクリスチャン生活

真剣にイエス・キリストにより頼んで生きていくと決心してから、度々思ったことは偉大な神、全知全能の神が共にいて助けてくださるのに、僕自身はどうしてこんなにも弱いのだろうということでした。教会で奉仕をする時などは聖霊の助けを強く感じますが、一方日常では、伝道する力に欠けていたり、すぐにイライラしたり、批判したり、ねたんだりと、内側の汚さは枚挙にいとまがありません。

一方、牧師先生や尊敬するクリスチャンは僕が見ている限り、かなり安定していて、霊的に下がるとか上がるとかそういったものを感じさせません。信仰の話をすると、心が燃やされたり、励まされたり、常に何かを分け与えることのできる魅力を感じています。

目を覚ましていること

そういった安定しているクリスチャンの人は、おそらく常在戦場の意識があり、霊的な戦いの中で霊性が研ぎ澄まされているのではないかと思います。あとは、説教や個人伝道など常に御言を語り、アウトプットし、祈る時間を持っているからだとも思います。

ですから、もし、安定したクリスチャン生活を送りたいなら、常在戦場の気持ちで霊的な戦いの中に身を置くことだと思います。例えば、祈りの中で戦う、御言を実践する戦いをする、伝道の戦いをするなどです。

安定性に寄与するとおもわれるもの

最近実践していて、安定性に効果があると思ったことを下記に列挙してみます。

  • 共に祈り合う:毎日同じ人と声を出して課題を挙げて祈るようにすると魂が恵まれる
  • 聖書を読む:注解書を使いつつ、声を出して聖書を読むと、魂が恵まれる
  • 奉仕をする:どんな奉仕でも兄弟姉妹と何かをすると、魂が恵まれる
  • 誰かの役に立つことをする:教会外の人たちに喜ばれることをすると、魂が恵まれる
  • 賛美を作る:歩いている時、世界観が生まれたら、それにあう御言を探そうとして、神を求め始める
  • ブログを書く:ネタはどれだけつまらなくても何とか学びを得ようとする我田引水力が働く

どうせ死んで土に帰るなら

神様にしたことだけ残るとしたら、日々の自分の欲望や情欲をかなぐり捨てて、神様に喜ばれる生き方がしたいです。しかし、僕はちょっと調子に乗るとすぐに失敗してしまうので、高慢にならず、調子に乗らず、小さく小さく、神様の喜ばれる生き方ができるように、聖霊に満たされて歩みたいです。

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
ガラテヤ5:16