最近、共有スペースにあるテレビを眺める度に、少し寂しい気持ちになります。相撲の無観客試合です。普段、全く相撲は観ませんが、普段と違う景色にさすがに戸惑いを隠せません。
力士たちが全力で激しくぶつかり合っているのに、観客は皆無で、もちろん声援もありません。スポーツ観戦もしかり、音楽ライブもしかり、やはり、観客側の声援とステージに立つ者の表現などによって、双方の気持ちが通じ合うことで、一期一会の特別な場の空気が醸成されるものだと、改めて感じました。
今から、およそ3500年ほど前におそらく世界で初めての無観客試合の相撲が開催されていました。深夜枠の屋外戦で、どうも超持久戦で朝方に決着がついたようですが、試合後に両者がかなり長めのプロレスのマイクパフォーマンスばりのやりとりが始まります。
ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。
創世記32:24-25(口語訳)
会話の噛み合っていない感じがいかにもプロレスのマイクパフォーマンスっぽいです。(笑)いずれにせよ、最後のヤコブの一言からもわかるように、ヤコブは神と相撲を取ったようです。ヤコブは、相手が神様だと知っていたので、「祝福してくださるまでは去らせない」とまで言っています。
この時、ヤコブは窮地に追い込まれていました。身から出たさびではありますが、実兄を騙し、実家から逃げていた身です。しかし、目の前には兄が率いる部隊がすぐそこまで来ていました。その状況の中で、ヤコブは夜を徹して神と取り組み祝福を求めました。
もし、窮地に追い込まれているなら、神と無観客試合で相撲をする時です。
「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」
創世記32:26(口語訳)