薄っぺらかった
僕はこのブログを本音ベースで書いてきました。それは事実です。嘘偽りなく、正直に書くことで自分が本当に何を考えているのかが明らかになります。それにより悔い改めに導かれて、これまで何度も正しい方向へと導いて頂くという経験をしてきました。
僕はこれまでこのブログで書く本音ベースが自分のありのままだと思っていました。しかし、実際はどうでしょうか?やはり主によって取扱いを受け、探られる時に非常に表面的な部分しか取り扱われていなかったと思わされています。要は薄っぺらかったのです。
擦り傷程度の痛み
主は僕自身が決して意識することもなかった領域にメスを入れることができるお方です。僕は「きよめ」に関して深い知識も理解ももっていませんが、もしかしたら、「きよめ」とはそのようなものなのかもしれないと思わされています。
僕はこれまで聖霊に導かれて、聖霊によってきよめられて少しずつ、微差の積み重ねのようにきよめられていくものだと思っていました。僕の理解によれば、この過程においては少しは痛みがあるでしょう。しかし、それは許容範囲内の痛みです。少しこけて擦り傷程度の痛みです。このきよめの過程には間違いがないと思います。
主の手術
ところが、時に主は手術を行うごとく、メスによって深い領域をきよめようとされることもあります。その痛みは擦り傷どころではありません。苦痛、苦悩、悲しみが伴います。擦り傷くらいなら痛いのは一瞬、ばんそうこうでも貼れば数日で忘れて治るでしょう。しかし、主の手術は数日~続く場合もあります。
僕が悔い改めさせられたのは、僕が「擦り傷で変わらなかった」という自身の愚かさについてです。主は何度も教えて、戒め、正しくし、義に導いて下さっていたにも関わらず、僕は「擦り傷くらいならいいや」と同じことを何度も繰り返していたのです。
本当に変わりたい
僕が昨日のブログの最後で、このように書いたのは上記のように思っているからです。
僕はこれに気づくのが遅すぎたと思っています。もう39歳にもなるのに、それまで自分のやりたいこともやって片手間で主のために仕えるというような人生を生きてきたことを心の底から悔いています。
今、僕はようやく、本当に変わりたいと思っています。