0980_全く豊かには見えないけど、豊かな生き方

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豊かではない

僕はとても貧しいわけではありませんが、裕福なわけでもありません。2012年から中国へ行ったので、給与は現地水準で貯蓄もできていませんでした。その間、国民年金も払えておらず完全に日本のレールから外れました。2015年に中国から帰ってきた時も大して変わらず、29歳で時給800円のアルバイトで生きていました。

それ以降、状況はだいぶ変わりましたが、相対的に見た場合同世代の人からすると全然豊かな生活はしていないように見えると思います。

ライフプランニングで

生命保険に入る時に信頼している友人にライフプランニングをしてもらったのですが、かなりきつきつで作ってもらいました。子どもはずっと公立の学校で、自動車も軽自動車で10年乗り続ける、家族で年に1回も旅行にもいかないとかそうった内容でした。

将来予測される支出に対して、これだけのお金が足りなくなるので、今のうちにこれこれをして準備しましょう。とのことだったのですが、70歳くらいで貯蓄が尽きるみたいな内容だったと思います。

まずは心の豊かさ

しかし、僕はとっても豊かな生活をしていると思っています。それは心の中にイエス様がいてくださっているからです。この豊かさは何物にも代えられません。ただイエス様が心の中にいてくださるだけで十分だと思えるのです。

そして、心の豊かさだけじゃなくて、物質的に僕が与えられているものも、他の人からすると大したことないと思うと思いますが、僕はもう十分に与えられたと思っています。正直物質的なものも十分すぎるほど与えていただいているので、もういいと思っています。僕みたいな人間がパウロの言葉を引用するのは気が引けますがこのようなことに近いのかと思っています。

悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。
コリントⅡ6:10

人は利己的だが

じゃあ、これからはなんのために生きるのか?となるのですが、それはイエス様のために生きたいと思っています。それはフルタイムの献身者としてではないですが、自分のできる限りのことをしたいと思っています。なぜなら、この魂はもはやそれをすることでしか満たされないからです。

こういったことを書くのは自分でも偽善的だと思います。なぜなら、人は究極的には利己的な存在だからです。しかし、結局人間はこうだからという言葉に囚われるのは違うと最近思うようになりました。

効果的利他主義

実際、宗教とは関係なく、Effective Altruism(効果的利他主義)という言葉があり、そういった運動があります。これは他者に貢献して社会をより良くするうえで、効率とインパクトの最大化を目的とする考え方です。

僕はそのためには自分の力ではできないと感じています。だから、イエス様だけが必要です。それは他者に対して何をするのが一番いいのか?は神様がご存じだからです。

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