昨晩は、初めて教会の人たちとカラオケに行きました。と言っても娯楽目的で行ったわけではなく、ショートムービーを撮影することが主要な目的でした。
ショートムービーはクリスマス特別集会の時に放送されます。12月に入り、教会はいよいよクリスマスに向けて忙しくなっています。
中国の教会では今年も昨年同様、4日連続でクリスマス特別集会が持たれます。ユースクリスマス集会も合わせると5日連続であります。(20日~24日)
内容は2演目あり、それぞれの邦題は以下の通りです。
- 「待っているよ、君の帰りを」(20日、22日)
- 「私のすべてはあなたの御手の中に」(21日、23日)
それぞれ演目が隔日で、4日間連続で上映されます。題目からも推察できるように内容は必ずしもクリスマスにポイントを当てたものではありません。一昨年、昨年の実績から言えば、キリストのご降誕だけではなく、欲張って十字架、復活までを一気に伝えてしまいます。
一年でいちばん布教しやすい時期、人々のキリスト教に対する関心が最高潮になる機会を最大限活かし、伝えられることを、この際、全部伝えてやろうという考えだと思います。
昨年の内容から言えば、バンドや聖歌隊などの定番から、おばちゃんの快板などの中国東北地方の伝統芸能など、
また、ダンスやショートムービー、さらに、日本ではなかなかお目にかかれないであろう夫婦同士の社交ダンスなどもあります。クリスチャンはもちろんのこと、恐らく、非クリスチャンもお腹いっぱいになる内容だと思います。
特に、中国人は日本人と感性や表現方法が違うため、その内容には突っ込みどころが多く、非常に面白い仕上がりになっていると思います。
そして、昨日は、「待っているよ、君の帰りを」の演目で使用するムービー撮影に行きました。友情編、愛情編、事業編、家庭編など複数の場面に分かれており、私は友情編の撮影に参加しました。
といっても、超脇役で、台詞は何もなく、ただ、ビールを持って、「イェー」とか、「ヒャッホーイ」とか言ったりして、狂喜を演じるだけの誰でもできる役でした。私が今回初めて教会の人とカラオケに行って、驚いたことが、ふたつあります。
まず、クリスチャンの集まりであるにもかかわらず、きちんとビールが用意されていたことです。これは、私の日本の母教会ではあり得ないことでした。
私の個人の認識における、
クリスチャンの飲酒に対する考えは、
出来るだけ、飲まないほうがいい、いや、むしろ飲んではいけない。
というものでした。
私は、普段はお酒を全く飲みませんし、飲みたくなるというようなこともありませんが、
友人との集まりや、宴会の席でお酒が出たと時はお酒を飲みます。
こんなことを書くと、
聖書でイェス様は、はっきりと、すべての食物は清いと肯定した上で、「人から出るもの、これが、人を汚すのです」とおっしゃいました。もちろん、私は平信徒なので、ここで、この聖書箇所の適応が正しいかどうかはわかりません。
でも、目に見える行為である飲酒云々をとやかく言うより、まず、自分の内側に悪い思いが無いかを点検するほうが、もっと大切だと思います。
次に驚いたことが、撮影終了後、教会内のワーシップリーダーや聖歌隊員がいわゆる「世俗の歌」を歌い始めたことです。
これは、私の日本の母教会ではあり得ないことでした。
私の個人の認識における、
クリスチャンの世俗の歌に対する考えは、
出来るだけ、歌わないほうがいい、いや、むしろ歌ってはいけない。
というものでした。
私は、普段はキリスト教の音楽を中心に聞きますが、時には、いわゆる「世俗の音楽」も聞きますし、歌いもします。何を「いい」とするかの定義を無視すれば、賛美歌より世俗の歌のほうが「いい」曲はたくさんあります。
わたしには、とても、「賛美歌や聖歌だけが善で、その他音楽は善とは言えない」とは思えません。今回、カラオケへ行くことによって、本当に色々、考えさせられました。
ある人が、日本人クリスチャンは、パリサイ色が強い(分け隔てられた者達、分離主義者意識が強い)
旧約色が濃厚(目に見える行いを重視する傾向がある)と言いました。考えさせられます。
「清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れている者、信じない者には、 何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。」
カナンの地は今日も輝いています。