1019_教区の新年聖会に参加して

教区の新年聖会

今日は教区の新年聖会がありました。僕の教会は会場でありホスト教会だったので奉仕をさせて頂くことになりました。朝から夕方くらいまで教会にいましたが、終わった時、疲れは全くなく、むしろ、体は元気で魂もバリバリの状態でした。改めて仕える教会があることと、先生方や兄弟姉妹との交わりがあるのは感謝なことだと思いました。

もし、教会に行っていなかったら、今日はどのように過ごしていたのだろうと思います。きっと買い物に行くなり、スマホを触るなりして家族や自分のために時間を使っていたことでしょう。本当に神様のために時間を使えることは幸いなことだと痛感しました。

教会間の交わり

僕は会場係だったのですが、多くの初めましての先生や兄弟姉妹一人ひとりと顔を合わせることができて本当に良かったと思いました。説教も僕が行っている教会の年頭礼拝の説教とリンクするところがあり、今年の自分の霊的な課題があぶりだされて本当に語られていると思いました。

さらに礼拝のあとは、各教会のメンバーがシャッフルで数人に分かれて御言の分かち合いの時もありました。自己紹介から始まり、それぞれの立場や状況から分かち合いがあり、本当に励まし合える時となったと思います。

顔を知れるということ

僕が何よりもうれしかったのは各教会の兄弟姉妹の顔を見れたことです。これまで〇〇教会のために祈るということはありましたが、いかんせん、僕自身がまだコロナの時期を含めて3年ほどしかこの教会に来ていないので、教会間での横のつながりがほとんどなかったのです。ですので、今回4年ぶりに人数制限のない通常の新年聖会がもててよかったと思いました。

これから、〇〇教会のために祈るとなった時に、今日見た先生方や兄弟姉妹の顔が頭に浮かびます。

縦軸と横軸

そう思うと教会生活とは、いや信仰生活とは人とのつながりだと思いました。無教会主義というものを否定するつもりはありませんが、僕は教会に所属することのほうが絶対にいいと感じています。兄弟姉妹と共に神様に奉仕し、共に交わり、礼拝することができるのは、きっと神様の御心であり、喜ばれることだと思っているからです。

もちろん、まずは自分自身が神様と繋がるという縦軸が最優先事項ですが、その縦軸を強固にしてくれるのが横軸であり、それは相互に影響し合っているのだと思います。ともすれば僕は個人主義で自分の信仰というところを強調しすぎる面もあるので、横軸の強化に力を入れるのが大切だと思いました。

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