特別な時間
お正月はとても特別な時間です。何よりお客さんも休みなので、お客さんから連絡が入ることがありません。会社からも連絡が入ることがありません。そういった仕事のことで認知を奪われない時間が長期的にあるので、非常に特別なのです。
普段、仕事をしていない時間は目の前のことに集中できていると思っていても、頭の片隅では仕事のことを考えてしまったりしています。その時間は仕事をしていなくてもマシンは動いていて、バックグラウンドでメモリが奪われてしまっているのです。
やるべきこと
今年のお正月も完全に脳内の仕事のマシンを切ってバックグラウンドで動かないようにしました。そうすると、目の前のことに夢中で全力で楽しむことができます。何より日頃蓄積された疲れもようやく除去することができるのです。
そう思うと、人間を回復させるのは、人間に本当に休みを与えるのは、必ずしもバケーションではないことがわかります。なぜなら、たとえバカンスに行ったとしても、無意識にバックグラウンドで認知が奪われている場合は疲れが取れないからです。
心はついてくる
たとえ非日常の時間を過ごしたとしても、心はいつも日常の中にあります。つまり、心を日常において、非日常の旅行に出ることはできないのです。特別な時間を過ごす時、様々なことが心に沸き起こります。それが喜び、楽しみだけなら最高です。
しかし、バックグラウンドで誰かに対する不平不満やうらみ、つらみ、そねみやお金のことや将来の不安など心の悩みが動いていると本当の休みは決して得られないでしょう。
キリストがしてくださること
イエス・キリストが与えてくださる休みは心身の一時的な休みではありません。自分というマシンの電源を完全に落とす時に、主のマシンによって生きる恵みにあずかることができるのです。しかし、自分のマシンを落とすということは人間にはできません。だからこそ、主の前に出ることが必要であり、主の御言が必要なのです。
イエス様はこのようにおっしゃっています。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
マタイ11:28-30
自分というマシンを落として主の軛を負うことが休みを得る生き方です。その軛は負いやすく、軽いのです。