企業の世代交代
先日読んだ記事にパナソニックの衰退のことについて書かれていました。プラズマテレビ事業の不振や内部構造に問題があることなどが指摘されており、つい先日も早期退職者を1000人規模で募集するとニュースが出ており、以前はライバル関係だったソニーとは全く様相が異なっています。パナソニックといえば、必ず松下幸之助といっしょに語られることがほとんどですが、松下幸之助以降にリーダーになった人は大組織を任されるプレッシャーだけでなく、否が応でも松下幸之助と比較されてしまうので本当に大変だと思いました。
「売家と唐様で書く三代目」ということばがあります。概ねこのように解釈されているようです。
貧しい家に生まれた一代目は一生懸命働いて資産家となり、その二代目はお金には満ち足りているので、お金には興味がなくて、名誉を求めて政治家になり、三代目はいずれも持っているので、何にも興味を示さず散在して、財産を食いつぶすというものです。
パナソニックの歴代リーダーが上記に当てはまるとは全く思いませんが、そういうケースがあるということです。個人的にはパナソニック製品が身の周りに多くあるので応援しています。
教会の世代交代
ひるがえって、日本のプロテスタント教会の歴史を見てみると、外国人宣教師により始められた教会が多いようです。僕の母教会も戦後にできた教会ですが、全く同じケースであり、アメリカ人宣教師により開拓され、その後、日本人が引き継いで牧会されてきました。
一代目の牧師先生のことはほとんど記憶にありませんが、カリスマ的な指導者だったようです。カリスマときくとイケイケのような気がしますが、本当にイエス・キリストのような人格をもった、誰もが憧れる、魅力に感じる、そんな先生だったようです。誰に聞いても一代目牧師は圧倒的だった言っていました。
では、二代目、三代目が悪くなるのかといえば、そうでもなさそうです。二代目も三代目も、僕が憧れる、魅力に感じる、そんな先生ばかりでした。ですので、「売家と唐様で書く三代目」には該当しなさそうです。
じゃあお前はどうなのか?
僕はクリスチャンホームに生まれたので、クリスチャン二代目ですが、「売家と唐様で書く三代目」に当てはまりそうな気がしていて、心配してます。やはり、両親は自分が救われた時点で、親も子供も親戚もクリスチャンじゃないので、お墓や親族にまつわる他宗教の習慣など捨てるものは捨てており、相当な緊張感とプレッシャーの中で信仰生活を送って来たのだと思っています。
僕の場合は、両親も兄弟もクリスチャンなので、非常に情けないですが、一番身近な家族が救われる切なる願いは本当に薄いとしか言いようがありませんん。
しかし、最近、親戚とはがきでやりとりしたり、電話で話したりするようになり、彼ら彼女も救われていないということを強く思わされ、このままではいけないとようやく気づき、日々祈るようになりました。
きっと僕は1代目の信仰者のとおりには歩めないでしょう。しかし、2代目として、2代目なりに、救霊の熱さは失わずに生きていきたいと思いました。