数年ぶりに一人暮らしを始めました。中国に住んでいた時以来なので約5年振りになります。
実家にいると良くも悪くも環境が良すぎるので、何かとその環境に甘えてしまうことがあったので、今回の一人暮らしを通して、生活を自立させることはもちろんのこと、クリスチャンとしても神様との交わりを大切にして、自立したクリスチャンになることを目指しています。
自立したクリスチャンに必要なものは、いわゆる、信仰だけではありません。
「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。」
第二ペテロ1:5-7(口語訳)
- 信仰
- 徳
- 知識
- 節制
- 忍耐
- 信心
- 兄弟愛
- 愛
力の限りを尽くす。だから、生半可な態度では望まない。それこそ、受験生が第一志望校を目指すように、法科大学院生が弁護士を目指すように、その態度、もしくはそれ以上の態度で力を尽くして求める。この地上では寄留者であり、旅人であるから、この世のものに執着せずに、神様の栄光だけを求めて生きる。
さぁ、新しい決断だと思っても、節制できなかったり、忍耐がなかったり、思うような生き方ができなくて、自分が嫌になることがよくある。
そんな時は、不安でいっぱいだ。果たして、このままでいいのだろうか、このような生き方では、この先、後悔するんじゃないかって。挙げ句の果てにどうでもいいことまで考え始める。年齢相応の生き方ができていないんじゃないかって、徳も知識も、昔思い描いていたようには身についていないって。
でも、それは完全に自分の考え。
たとえ、そう思っていても、神様は語りかけてくださる。
聖書の御言から、祈りの中で、
本を読んでいる時、寝ている時、
電車の中でぼーっとしている時、
神様は語りかけてくださる。
「わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。」
詩篇27:13-14(口語訳)
この御言が新しいスタートを切るにあたって、与えられた御言。クリスチャンはいつだって、どのような状況にあっても、順境にあっても、逆境にあっても、神様の御言がないと不安になる。
だから、神様の御言が僕には必要。
心を治めきれずに、愛のない対応をしてしまうこともあるけど、あなたは語ってくださる。
その語りかけだけで、
私の心は溢れます。
私の乾いた革袋は、
あなたの恵みで溢れます。
私の乾いた地は、
あなたの生ける泉で潤されます。