先日、授業中に日本の住宅について話す機会があり、木造住宅、鉄筋コンクリート住宅などの単語を説明していた時、ある学生が面白い話をしてくれました。
彼の話によると、ある地域で、突然、橋が自然崩壊したことがあったそうで、その橋の崩壊の現場からは、鉄筋は発見されず、その変わりに、なんと大量の割り箸が発見されたそうです。
鉄筋コンクリート製ならぬ、割り箸コンクリート製です。
その学生は「中国には『割り箸コンクリート住宅』というのがあるんだよ」と、自虐的にニコニコ語っていました。それを聞いて、クラスの学生も私も大爆笑してしまいました。
ちなみに、中国ではこのような事件は一般的で、割り箸さえ入れない工事を「豆腐カス工事」と呼び、だいぶん前から社会問題になっています。下請け業者が設計通りの鉄筋を工程に盛り込まず、そのぶんの利益を業者が単純に吸収する仕組みです。
中国へ来てから、初めてわかったことですが、中国人は、このように自国に関することをよく「自虐化、ネタ化」するようです。言い換えると、中国人という言葉からある程度距離をとって、客観的に中国人を評価する傾向があるようです。
例えば、ある時、教会内の説教者が、ある欧州の国の無人野菜販売店の話を紹介していました。これは日本にもありますが、店舗に店主はおらず、客が野菜を購入する際は、表示価格の金額を箱の中に入れて購入する方式のものです。双方の信頼関係によって成り立つ販売方式です。
牧師先生は神を畏れる心がある者は、たとえ人が見ていなくても、法に抵触すること、または良心に反することはしない。ということを伝えたかったんだと思います。
説教者が聴衆に尋ねます。
それを聞いて、聴衆は大爆笑でした。
恐らく、ここで述べられている「中国人」という言葉の中に、説教者も聴衆も含まれていないと思います。そうでなければ笑えないと思います。
客観視された中国人です。
また、iPhone6が日本で先行発売された時、中国国内でも、中国人がとったモラルのない行動が放送されていました。中国人のこのニュースに対する一般的な反応は、「恥ずかしい」、「情けない」、「やめてほしい」といったものがほとんどでした。
教会のある兄弟は、興奮しながら、このように話していました。
このように、一部の中国人が何か他人から非難されることをする度に、大部分の中国人は距離をとって、客観的に自国民を眺めるようです。
自虐ネタでよく聞くのは、
食の安全が守られておらず、ごみのような食品ばかり食べていることに対して、
PM2.5による大気汚染に対しては、
一党独裁に対しては、
など、ネタとして昇華し笑い飛ばす傾向があるようです。
私は、初めて彼らのこのような反応を見て驚いてしまいました。なぜなら、自国民の不利な行動に対しても必ずしも弁護に走らないからです。そもそも、大部分は弁護できるような性質のものではありませんが。。
口をつぐまない、目をつぶらないどころか、むしろ、直視し、客観視、そしてネタ化します。
共産党による洗脳ですら客観的に認識し、ネタ化していることに驚いてしまいました。むしろ、どうしようもできないため、そうすることでしか、処理できないのかもしれません。
心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。
カナンの地は今日も輝いています。