鵜呑みにしてもいいのか?
今やYoutubeやX(旧Twitter)など各種SNSで説教や情報を収集できるようになりました。このブログもそのうちの一つだと思います。その中で自戒を込めて書きたいことがあります。それは「その人の書いていることを鵜呑みにしてもいいのか?」という点です。
僕のブログに関して言えば全く鵜呑みにする必要もないですし「またこいつ変なことを書いているわ」くらいに受け止めて頂いたほうがいいと思います。もっとも、このブログは収益化しておらず積極的に読んでもらうことを目的としていません。むしろ月々のサーバ代がかかっているので完全に赤字です。
神様を知っている人
その中で、「どのようにして選択と集中をするか?」です。玉石混交の状態の中で誰が言っていることを信じたらいいのか?という点に関しては知恵が必要だと思っています。僕が持っている一つの軸はこれです。
神様について知っている人よりも、神様を知っている人を信用するようにする
神様について知っている人はごまんといます。それは信仰がなくても神様のことを知ることはできるからです。しかし、神様を知っている人は全く別の人たちです。その人たちは救われた人たちであり、今も生きているイエス様に出会った人たちです。僕はそのような人の言葉を信用するようにしています。
愛さない者は、神を知らない。
じゃあ、どのようにしてそのような人を見分けるのか?については聖書の御言を参考にできます。
ヨハネの第一の手紙 4:8
愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
強烈な御言だと思います。僕自身にとって耳に痛い言葉であり、常に自分を悔い改めに導く言葉でもあります。しかし、どうやってその人が愛の人が知ることができるのでしょうか?それは、インターネット上では自分が愛の人であることすら偽ることができるからです。
愛は人の徳を高める
判断する具体的な基準がいくかあります。一つはその人の情報を得ることによって「自分の心が神に向くか?」という点です。さらにその人の情報を得ることによって「魂に飢え乾きが起こるか?」です。なぜなら、知識は人間の魂にとってそれほど大きな影響を与えないからです。むしろ、下記デメリットもあります。
コリント人への第一の手紙 8:1
偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
この基準に当てはめた場合、きっと僕のブログはそのような働きかけができていないと思います。だから、今日も悔い改めます。













