平和から戦争へ
今日も「両極端に振り切れる」ということについて書きたいと思います。これから世界は両極端に振り切っていくので、平和から戦争へ、豊かさから貧しさへなんて書くと不謹慎と思われるかもしれません。あるいは、クリスチャンなんだからそんな悲観的なことを書くなとも思われるかもしれません。
しかし、世界における国や世代のサイクルを見れば、そういった時代がくるというのは何ら不思議なことではありません。むしろ、聖書ははっきりとそういった時代が来ると宣言しています。
マタイによる福音書 24:6-8
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
正しく時代を認識できる
しかし、僕はこれまでこういった聖書の言葉をどこか自分の世代には起こらないものと決めつけて真剣に考えることをしてきませんでした。読んでいて恵まれないから、読み流し、聞き流すということをしていたと思います。また教会においても終末に関することは聖書研究など以外ではあまり語られないようにも思います。
それは正しいとも思います。なぜなら、終末を強調しすぎると信仰のバランスが崩れる可能性があるからです。しかし、僕はこれから世界に起こることを真剣に受け止めることでようやく初めて正しく時代を認識できるようになると思うようになりました。
生活や信仰が研ぎ澄まされてくる
そうすると、生き方が変わります。価値観が変わります。そして信仰が変わります。信仰が変わると言ったのは、本当に大切なものは何かのか?何をすべきなのかが?はっきりと浮き上がってくるからです。それによって生活や信仰が研ぎ澄まされてくるのだと思います。
もちろん、戦争、貧しさ、飢え、疫病などは恐ろしいものです。こんなことばかり考えていたら頭がおかしくなるかもしれません。しかし、世界は実際に頭がおかしくなるほど狂っているのが現実です。僕は、これまで日本は平和だからと言って、臭い物に蓋をするが如く正視してこなかったのです。
直視することで見えてくるものがある
今となっては、そうした自分の生活は非常に気が抜けていたと思わされています。
僕は本当にこれまでクリスチャンとして恵まれることばかり考えていました。そうして、喜びや感謝ばかりを求めていました。しかし、聖書は全く逆のことを言っています。
マタイの福音書5:3-4
こころの貧しい人たちは、さいわいである、
天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
直視することで見えてくるものがあります。それこそがキリストにおける幸いであり恵みなのだと思います。