1485_人に戒められると即座に言い訳をする性質

自分はできていると思いたがる

人間はどうも「自分はできていると思いたがる」もののようです。それは僕自身がそうだからです。先日はブログで「イエス様に怒られる」という内容について書きました。詳しくは御言や祈りの中で主に戒められて教えらえるということです。

1482_「イエス様に怒られる」という体験

前提として、人は霊的な領域において自身の改善すべき内容について自力で気づくことはできません。だからこそ主に教えられる必要があるのです。この時に肉は激しい抵抗をするでしょう。しかし、もし霊に注力するならば、意外に受け入れられる場合もあります。

人を通して戒められる

しかし、いつも主ご自身が戒めてくださるわけでもありません。なぜなら、主は時に人を通して戒められるからです。個人的にやっかいだと思うのが「人から戒められる」ことです。それは身内かもしれません。牧師先生かもしれません。あるいは、教会の兄弟姉妹かもしれません。僕の経験上、人から戒められると肉がより激しく反発すると思っています。

なぜでしょう。それは、昨日書いたサウルと同じかもしれません。すぐに言い訳をするからです。これはほとんど人間誰もが持つ性質と思っていいのではないかと思います。なぜ言い訳をするのかということ自分を守るためです。本能で自分を守るために言い訳をするようになっているのです。

悔い改める

大切なことは「言い訳をしたい」ということを自覚して主の前に悔い改めることだと思います。もし信仰によって受け入れるのであれば、自分に降りかかってくることはすべてのことは、主のゆるしと御手の中で行われているとなります。人から何かを言われる場合、主がそれを教えようとしてくださっているとして受け入れるほうがいいと思います。

しかし、言うは易く行うは難しです。先日も僕は人から言われることがありました。僕は即座に頭の中で様々な言い訳を構成しました。しかし、しばらくしてから、心に平安がないことに気づきました。その時に、「あ、これは主が僕を戒めてくださっているんだ」と思いました。

主の声を聞く

それから、悔い改めて自分が何を戒められようとしているのか?主の声を聞きたいと思いました。そして自分が今何をすべきかも教えて頂きたいと思いました。つまり、人から何か戒められた時は主に祈ることです。そうして平安があればその戒めは無視したらいいです。しかし、心に平安がないのであれば、主に祈って何を悔い改めなければいけないのか聴く必要があると思います。

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