内側に満たされている聖霊を動力
昨日は「自分はどうなりたいか?」によって信仰生活の質が決まると書きました。以前の僕のように二心の者のように歩んでいたら当然バックスライドします。とりあえず、天国にさえ行けたらいいと思っていたら現状維持になります。しかし、キリストの似姿に変えられたい、主にすべてを捧げてお返ししたいと思うのであればそれに向けて奮闘、努力するようになります。
この主のために何かをしたくて努力するというようなことを書くと、一部の人から律法主義だと勘違いされることがあります。実際に僕は勘違いされたことがあります。しかし、この努力の動力は決して外からくるものではありません。内側に満たされている聖霊を動力としています。つまり、やらされているのではなくてやりたいのです。
日本にはクリスチャンが少ないのか?
なぜ日本にはクリスチャンが少ないのか?という点に関しての答えは明確です。僕が明け渡していないからです。僕が聖霊なくてもいいと思っているからです。そして伝道しないからです。また、この世で生きる人のように生きているからです。どうしてこのように言えるのでしょうか。それはイエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わらないお方であり、かつ、なんでもできるお方だからです。人の心を開くのも聖霊の働きです。いやしも不思議もすべて主の働きです。
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じゃあ、なぜ主はそれをされないのでしょうか。99匹を残して1匹の失われた羊を探しに行かれるほど失われた魂に心を痛めておられるのになぜそれをしないのか?それの答えはこれです。主がしたくでもできないのです。その原因は僕です。もし、主がそれをされるなら、僕が高慢になってしまうからです。僕が調子にのってしまうからです。だから主は人を使いたくても使えないのです。これは神に原因があるのではなくて人間側の問題です。
世界中でクリスチャンが増えている
僕は一時期、「現代において主はそれほど奇跡をなさらない」と思っていたことがあります。しかし、世界を見てください。世界中でクリスチャンが増えています。そして、癒しや奇跡も起こっています。それは確かに南半球での出来事かもしれません。ある人は「いやいや、あれは発展途上国だから」と言いたくなるかもしれません。しかし、主にとって先進国、発展途上国、関係があるのでしょうか。あるとしたら、心の問題です。純粋さの問題です。主はいつでも心を見られます。
いくら主のそばにいても群衆には心がありませんでした。しかし、長血の女、ザアカイ、バルテマイなどは心で主を求めていました。僕はその事実を真摯に受け止めて自身の信仰に生かしていきたいと思っています。
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