0027_完全に目いってるやん。僕が異常なほど中国に関心を示した理由

僕は絶望的なくらい難のある人間で、あきれるほど無勉強でしたので、大学はどこも合格しませんでした。明確な目標もない浪人生活に突入してしまっていました。しかし、そんな時に読んだ一冊の本が僕の人生を全く変えてしまいました。その本は、「中国リバイバルの躍進」(デイビッドワング著、吉田隆訳)といいます。

その本には、初代教会さながらの苦しみの試練を経たクリスチャンの生きざまが書かれていました。1966年中国で発動した文化大革命の時、中国のクリスチャンは強烈な耐え難いほどの迫害の中にいました。ある者は投獄され、ある者は拷問のすえ殉教しました。教会は、牧師が投獄されたため、無牧、孤立無援状態になりました。

迫害は極限まで激化し、クリスチャンは完全に中国から消失したように思われました。しかし、彼らは、地下で信仰を守り続けていました。そして、文化大革命が終わり、中国が改革開放政策へとかじを取るタイミングあたりから、地下から地上に上がり、雨後の竹の子のように、爆発的にクリスチャンが増え広がり始めました。

そんな出来事が、隣の国でつい30年ほど前に起きていたことに衝撃を受けました。そして、2つの疑問が沸き起こりました。

一つは、「なぜ、同じクリスチャンであるにもかかわらず、僕の信仰は熱くも冷たくもないぬるま湯のようなのだろうか。」

もう一つは、「なぜ、日本ではクリスチャンが増えないのだろうか。」そんな疑問が沸き起こり、中国に対して異常な関心を示すようになりました。

それから、完全にスイッチが入って一念発起。中国語を学べる大学を調べて、勉強して、中国語学科へ進みました。北京留学と数年の社会人生活を経てから、26歳で仕事を辞めて、かねてからの希望であった中国の家の教会を探す旅に出る決意をしました。

当時お世話になった会社の上司に中国宣教に行くから仕事を辞めると伝えると、あきれられました。先輩も同僚もみんな一様に心配していましたし、おおよそ、「一度、日本のレールから外れると戻れないぞ。」とか「社会保障なしでどうするねん。」とかネガティブな意見ばかりでした。

そんな彼らに対して僕が言った言葉は、「たとえ、中国で貧することがあっても、スコップ持って一から働くから大丈夫!」と言いました。おそらく、当時の僕の目は完全にいっている状態だったんだと思います。(笑)それくらい何か憑りつかれたかのように動かされていました。

たとえ、日本のキャリアのレールから外れることがあっても、社会保障から外れることがあっても、神様が用意してくださっているレールがあり、神様の保障があるから、周りが何を言おうとも、何も恐れることはないです。神様が私たちに抱いている計画が一番、安心安全で適材適所なのです。

わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。
イザヤ46:4(口語訳)